海外での活動としましては
結構早くからシンガポールのほうにラーメンが行ってまして
しかも江別ノハルユタカとか小麦を使ったラーメンをつかって
お店を出しているたんぽぽというお店がありましてね、
そこのお店に入りましたらね、なんと暖簾で「麦の里江別」って
のぼりがたってるんですよ。 (more…)
12月 « 2013 « HOME
海外での活動としましては
結構早くからシンガポールのほうにラーメンが行ってまして
しかも江別ノハルユタカとか小麦を使ったラーメンをつかって
お店を出しているたんぽぽというお店がありましてね、
そこのお店に入りましたらね、なんと暖簾で「麦の里江別」って
のぼりがたってるんですよ。 (more…)
江別は麦の里江別と言われるくらいでして
小麦で有名なんです。
特にハルユタカという小麦の生産地で有名でして
実は子供達と一緒にですね「小麦追跡学習」というのを
食育でやってるんですよね。
最初は小麦ができる畑に行く。
そして畑で学んだ後江別製粉さんの会社に行って
小麦が粉になるところを勉強する。
そしてその粉が菊水で麺になる所を勉強する、
それでみんなで学校で麺作りをやってみたり
そして全小中学校の学校給食で江別小麦が食べれる、
そして食育がやったことをみんなが絵に描く、
絵に描いたものをパッケージにした商品を店頭に並べる、
そういったことがどんどん循環していく。
ですから江別自体が教室なんですよ。 (more…)
~杉野社長のラーメン心に火をつけたエピソードはありますか?
それは「竹家食堂」ということろに行き着くんですね。
場所は今の北海道大学の正門の前に沢田ビルの隣にあったんですね。
竹家は大正11年にできました。そこで作っていた王文彩さんという調理人が
店主の大久昌治さんに雇われて肉絲麺(ロースーメン)という麺を作ったんですね。
それが中国の留学生も美味しそうに食べているのをみて
なかなか日本人が発音しにくいものですから
なんとかいい名前をつけたいということで
おかみさんの大久タツさんがですね出来上がったときに王文彩が
「ハオラーハオラー」って言ってた「ラー」が耳について
「ラーメン」てどうだろう?てことになって
ラーメンが始まったわけなんです。 (more…)
菊水を代表する商品「寒干しラーメン」というのは
インスタントラーメンとは違いまして
全く製造工程で熱を加えないんですね。
寒風で3日3晩乾し上げて小麦のうまさが持続されるという商品でして
もともとは生ラーメンの失敗作から出来たようなもの
なんですよね。
実は工場の事務所の机に生ラーメンを誰かが置いてあったんですね。
そこに当時の社長が来まして、みんな怒られると思って
隠そうとしたんですね。
そしたら社長がですね「ちょっとまて」
「そこの乾いたやつを調理場行って茹でてみろ」と言ったんですね。 (more…)
株式会社菊水は昭和24年ですから1949年、
下川町というところで私の父が創業いたしました。
下川といいましたら今でいうスキーのジャンプで有名なところですね。
そこから昭和41年に札幌の白石の方に工場が移りまして、
昭和48年に江別に本社・工場を構えて現在に至ります。
今ある白石の菊水とは関係がないんですね。
よく言われるんですよ。
昔白石に工場があったものだから
当然地名の菊水なんですよね?といわれるんです。
実は菊水というのは杉野家の家紋が菊水だったんですね。 (more…)