~杉野社長のラーメン心に火をつけたエピソードはありますか?
それは「竹家食堂」ということろに行き着くんですね。
場所は今の北海道大学の正門の前に沢田ビルの隣にあったんですね。
竹家は大正11年にできました。そこで作っていた王文彩さんという調理人が
店主の大久昌治さんに雇われて肉絲麺(ロースーメン)という麺を作ったんですね。
それが中国の留学生も美味しそうに食べているのをみて
なかなか日本人が発音しにくいものですから
なんとかいい名前をつけたいということで
おかみさんの大久タツさんがですね出来上がったときに王文彩が
「ハオラーハオラー」って言ってた「ラー」が耳について
「ラーメン」てどうだろう?てことになって
ラーメンが始まったわけなんです。
その竹家食堂のラーメンに出会って何とか
当時の味を再現したいな、と思い、
当時の味に関わった大久のぶおさん、大久まさみさんと一緒にですね
この竹家食堂のラーメンを作り上げたんですね。
当時はどんぶりで出てきたんですね。
これは日本で最初のラーメンどんぶりと言われておりましてね
新横浜のラーメン博物館にも展示されているんですけれども。
~そしてその竹家食堂のどんぶりが今手元にあります!
はい、オリジナルでこれは四男のまさみさんからお借りして
私が管理しているんですが、とても貴重なものですね。
裏に竹家って屋号が入りまして
出前でも割れないように肉厚に作ってありまして
色合いは昔のラーメンどんぶりの色合いだと思うんですけれども
当時の中国のどんぶりを作ろうといってピックアップされたのが
竜で結構小さくて小ぶりですよね。でも結構重たいんですよ。
とても貴重なものです。
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