菊地博士というドクターがいるのですが
その方の弁を借りてお話しようと思うのですが
それは健康長寿米という発想ですね。
前回申し上げましたけれどもたんぱく質は米の美味しさを
邪魔しているんだ、ということで
人間にとっても重要で貴重な蛋白源を減らす
という品種改良の戦略をちょっと変えていかなければならない、
ということなんですね。 (more…)
6月 « 2013 « HOME
菊地博士というドクターがいるのですが
その方の弁を借りてお話しようと思うのですが
それは健康長寿米という発想ですね。
前回申し上げましたけれどもたんぱく質は米の美味しさを
邪魔しているんだ、ということで
人間にとっても重要で貴重な蛋白源を減らす
という品種改良の戦略をちょっと変えていかなければならない、
ということなんですね。 (more…)
北海道の米が40年くらい前にはどんな風に表現されていたか
というと猫も食べないから「猫またぎ米」とかですね
北海道という言葉にかけて「厄介どう米」などという
ありがたくない名前が代名詞としてつけられていたんですね。 (more…)
今日は北海道の米作りを根付かせた
寒冷地稲作の祖・中山久蔵さんのお話ですね。
今や北海道は米の生産は60万トン、これは新潟といつも競争しておりまして
米の主産地である、ということになったのは中山さんの
苦労と涙の物語を忘れることはできないと思います。
面白いのはこの方、お米の発芽をさせる為に
湯を沸かして水田にお湯を導いてきてそして米作りをしてたんですね。
お湯を大きな釜で沸かすんですよ。
それを運んでくるんです。
それをやったのが島松なんです。今の北広島です。 (more…)
稲のふるさとというのは中国の揚子江なんですね。
1万1千年前に遡ります。そこで稲作が始まったと言われて
遺跡発掘などでだんだん特定されてきているんですけれども
その稲作が揚子江から北へ上がっていったのですね。
そして黄河流域まで一部伝わって更に今度は東へ
そして朝鮮半島へ伝わったと。
それが約4千年前だと言われてます。
で、日本に上陸したのが約2千5百年前。
これは稲作の技術を身につけた人が朝鮮半島から
渡来してきたという。そして水田の稲作が始まったのですが
大陸から日本に伝来した稲作というのは弥生時代の中期。
この時期までにですね本州の最北端の青森県まで伝わってたんですね。
やはり津軽海峡というのは大きな障壁だったんですね。
なのでそこからなかなか北海道には渡ってこなかったんです。
(more…)
私が今北海道銀行でどういう仕事をしているかというと
農業全般の仕事に関わっております。
特にお客さんとの交流会というのがありまして
それがライラック会という非常に優しい名前なんですが
その会で何故これから農業が大事なのかという内容のお話を
非常にやさしく話をするというのが仕事のひとつです。
それから今は農業に関心の高い中小企業のみなさん、
これは中小企業家同友会という全道でそういう支部があるんですが
そこで新しい時代のアグリビジネスというのがテーマで
年間10回以上お話をさせていただいております。
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