今の工場がある山の斜面に 子供達が冬でも遊びにこれる場所、 20万坪ののびのびと走りまわれる場所を作りたいです。 収益は一銭もいりません。 子供達に葡萄の森を残したいのです。 ~嶌村社長にとってのワインとは? 心が非常に豊かになる産業だと思います。 北海道ワインには開拓以来100年の北海道を 支えることを求められる、大きな役割があると思います。
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今の工場がある山の斜面に 子供達が冬でも遊びにこれる場所、 20万坪ののびのびと走りまわれる場所を作りたいです。 収益は一銭もいりません。 子供達に葡萄の森を残したいのです。 ~嶌村社長にとってのワインとは? 心が非常に豊かになる産業だと思います。 北海道ワインには開拓以来100年の北海道を 支えることを求められる、大きな役割があると思います。
今となっては出荷量は道内でナンバーワンですが 最初の頃は違いました。 ナイヤガラ・キャンベラで葡萄酒をつくっても 売れるわけがないと、たくさんの人に言われました。 それでも収穫があるので 勉強し、葡萄酒を作らせてもらいました。 自分の畑を犠牲にしてでも 知恵と工夫とそれを加工できる装置に費やしました。 真剣勝負とはこういうもので、それが今でも続いております。
甲州葡萄以外、葡萄と認められなかった山梨の塩山で デラウェア(茶葡萄)は生まれました。 地のりの悪い土地でありながら日本一の美味しさを誇る 葡萄の産地に仕上げました。 嶌村さんのお父様は葡萄作りの名人。 村人に頼られ優しく、自分のことより他人のこと、 一生懸命な人のいいお父様でした。
北海道ワインを初めて出荷したのは今から28年前。 今でも社長のご自宅で保管されてます。 その味はすばらしく、 全国の経営陣の方々から頂いた「これが日本でできると思わなかった」という お褒めの言葉にはずいぶん励まされたそうです。 当時の夜明けと夕日をイメージした茜色のラベルは 社長ご自身のデザインだそうです。